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懐古大学生

昔の音楽や映画やファッションが好きな大学生のブログ

インプットとアウトプット

僕は大学1年の夏に第一次引きこもりを…そして今から半年前の大学2年の秋に第二次引きこもりを経験している。(だいたい二ヶ月ずつぐらいかな…)

引きこもって何をしてるかというと、ひたすらインプットをしている(YouTubeダウンタウントークや昔の音楽を聞いたり、Googleで作詞の意味解釈をしてたり…)

 

インプットとカッコつけて言ってみたけど、

ただダラダラしているだけ笑

 

まぁなんで引きこもったりしたかというと…まぁ順をもって説明しきたい!

<第一次引きこもり期>

[背景]

大学に入って人生はコミュ力至上主義だと痛感する!僕は人見知りで、初対面の人にいきなりフルスロットルでいけない。どんな人とでも上手くいくコミュニケーションの力を見につけたいと考えていた…

[引きこもり内容]

夏休み中、特にやることもなかったので、引きこもってひたすらバラエティ動画で一流達を見る日々を送る。これが第一次引きこもり期…

ただここで最近の流行りの芸人たちをみていれば良かったのだが、僕がハマったのはダウンタウンだった。ダウンタウンは史上最高に面白い芸人だが史上最高に真似することが難しい高度な芸人。だから自分のものにしようとして見るのではなく、ただただ面白いから見てるだけになってしまった…

[結果]

夏休み明けコミュ力ついて、楽しく過ごせるんじゃねって思ったりしてたが

ただただ癖の強い人間になってた笑

なんか周りの奴らと話してるよりダウンタウンの動画見てた方が面白いわ!ってなってしまった…本末転倒ですわ

 

<第二次引きこもり>

[背景]

第一次引きこもりから日に日に癖が強くなっていき、周りの人達とはより一層感性が合わなくなっていった(音楽もお笑いも映画もそして考え方ですら…)

そして周りの大学生の糞さ(なんかダサいな)とか人として底辺な奴ばっかりだなとか考えるようになっていった。周りが俗物ばかりで関わることが嫌になってしまった(こうやって周りを俗物だって見下してる自分も嫌になった)

[第二次引きこもり期の内容]

大学秋学期中、必要最低限度の人以外連絡を遮断した(バイトを辞め、サークルを辞め、大学には週に一回しか行かなくなった)

この時期はいろいろ考えた…

{目標のない人生にとても嫌気がさした。何事にも熱中できない自分…やってることが全て無駄のように思えて何もかもやる気が無くなってしまった。思えば人生で一番充実していたのは、浪人時代、毎日10時間を超える勉強をしても、まだまだ勉強し足りないと向上心に満ち溢れていた。受験という目標があったのが大きい!毎日やるべきことに取り組み、膨大な知識を取り込んでいく快感…自分が日に日に成長しているように感じた…一生この日々が続いてくれてもいいとさえ思っていた…僕はつくづく大学生活に向いてない人間だ!周りの奴らは遊んでばっか…僕はもともと遊ぶことで充実感を得られるタイプの人間ではない(好きな人や興味ある人と遊ぶ以外はただの寂しさの埋め合わせに過ぎないと思ってる)特に馴れ合いは大っ嫌い!どんなに楽しい遊びでも、小学校の頃に遊んてだ時の新鮮感や充実感は越えられやしない…}

まぁこの時期こんなこと考えていたかなぁ…なんかこの時は物凄く尖っていた人間だったと思う

これじゃいかんなと思って、松本隆の詩の研究を始めたり、本を読んだり、膨大な量の音楽を聞いたり、ひたすら自分の感性に訴えかけるものを探していた…

[立ち直るきっかけ]

そして、この引きこもり期から立ち直るきっかけは2つある。1つは気心しれた友人たちの存在。自分の好きな人達とだけ遊ぶようにしていったら徐々に気が楽になっていった。バイトやサークル嫌いな人達との関係を全て断ち切ったことで心に余裕を持てるようになったのだと思う。まぁ時間が解決してくれたってのもあるかな。

そしてもう1つは尊敬するミュージシャン松山千春の言葉だ。ある番組でとっても素晴らしいことを言っており、これが人間関係に疲れた僕を楽にさせた。

 

松山千春の言葉

「お前たちに言いたのは、たった一回の人生で、どれだけ人を信用することができますか?どれだけ人を愛することができますか?

たった一度の人生で、"ひょっとしたらこの人と巡りあうために私は生まれてきたんだろうか?"。その人と巡り合えたということだけで、愛したということだけで、あなたの人生は、満足だと思うし…」

「それと一番、お前たち若い人間に足りないのは、見返りを求めすぎる。恋愛にしても、仕事にしても、"私がこんだけしたんだから、彼はきっとこうしてくれる。私がここまで捧げたんだから、彼なら絶対こうしてくれる・・・"。それは、あなた、見返りを求めているだけでしょう。見返りを求めようとすると、どうしても苦しくなる。周りが信用できなくなる

「俺は、この人生も、なんの見返りも求めることなく、ただ、生きていたい。見返りさえ求めなければ、あなたは、あなたのままで、清らかなままでこの人生を歩いて行くことができる」

「この年代に入って、この先どうなるんだろうとか、色々考えるかもしれないけど、その時にしか、できないことってあるのよ。今お前の歳でしか、できないことがあるのよ」

 

 

松山千春の言葉はとても胸に響いた。そういえば僕は人に見返りを求めすぎていた。僕が親切をすれば慕ってくれると考えていたり、誕生日にプレゼントをあげれば、お礼の連絡が来ることは当たり前だと考えていたり、どっかで見返りを待っていた。(今でもこの見返りを求める癖はなかなか消えない。消そうと思ってもそう簡単に消えるもんじゃない…)

しかし松山千春の言葉を聞いて、他人に対して過度の期待を抱かなくなってから、すごく人間関係が楽になっている。そして自分自身も前よりマイルドな性格になってると思う

見返りを求めなければ、他人に流されることなく自分らしくなれる生きていける!

[結果]

感性に訴えかけるものをさがすことは大きな意味があった。見失いかけていた自分が何なのか認識することに大きく役に立っている。

 

[そして言いたいこと]

結局ダラダラっていい意味でも悪い意味でも自分を構築するものだと思う。ただダラダラしてる時に得たものって大抵忘れてしまう…これを忘れなければ有意義な時間だと思う。忘れないためにはどうしたらいいか?

アウトプットすることである!

ダラダラしてる中、自分で考えたことを外に吐き出すこれが極めて重要である。これがダラダラを有意義にする方法だと思う。

そして僕はこのアウトプットの手段として春休み中ブログを始めることにした。空いている時間で手軽にアウトプットできる素晴らしいコンテンツだと思う。誰かに見てもらうつもりはあまりない。ただやはり繊細な性格なので、人に見られることを配慮して文章を書いている(この方が緊張感がありアウトプットには有効だと思っている)

ダラダラをマイナスだと捉えず、ポジティブに捉えてみると人生面白いかもしれない!